**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第976回配信分2023年01月09日発行 ルールを変える勇気を持つ 〜年末年始のTVを観て感じたこと〜 **************************************************** <はじめに> ・年末年始、いくつかのTV番組を見て、感じることがあったので、今週はそれ を書くことにする。それは、TV番組を見て、つくづく思ったのだが、従来通り の番組構成、編成でやっていると、時代の変化とのギャップが大きくなるとい うことだ。まず、取り上げたいのは「レコード大賞」。成岡の幼少のときから 続いている看板番組だが、今年は全部見たわけではないが、どうも時代感覚と ずれているように思えて仕方ない。多くの賞の位置づけや、意味合いも曖昧 で、どうしてこの歌手、この曲が選ばれたのか、理解に苦しむ結果が披露され た。古くは、その年に最も売れてヒットした曲、歌手が選ばれて、誰もが納得 のレコード大賞だった。世相を反映した歌謡曲、フォークソング、ポップな ど、全世代に支持された曲が表彰された。 ・レコードからCDに代わっても、しばらく位置づけは同じだったが、この10年 近くどうも世間の動きとちぐはぐな結果になってきたようだ。まず、歌の流行 の形態がCDなどから完全にWEBのNETに移行した。スマートフォンの普及に連動 して、歌の浸透が完全にWEB配信のデジタルに移行した。この動きに全くつい ていけなくなり、苦渋の選択で今年の選曲になったのだろう。誰が見ても、ど う考えても、番組、賞の賞味期限が切れている。一番わかっているのは、関係 者だろう。おそらく、この企画の進行は半年ほど前から、関係者、スタッフな どで検討しているはずだ。喧々諤々の議論を経て、このような結論にたどり着 いたのだろう。それと、この賞のスポンサー企業との関係もある。そう簡単 に、大きく変えることはできないと、おそらくスタッフ関係者はわかっている が、利害関係者との調整がつかないのだろう。 ・怖いのは、昔に比べて、世間の評価がすぐオープンになることだ。SNSを始 め、多くの意見や感想、評価があっという間にNET上に流れる。著名人も書き 込むし、無名の一般の人の意見もアップされる。以前なら、新聞の投書くらい しか目にすることはなかったが、昨今ではバンドルネームも含めて、多くの市 井の民衆の意見や評価が、そのままの形で目にすることができる。今回のレ コード大賞の後日、NETで流れているコメントを見ると、もうこの番組は終 わったのではないかという辛辣な意見が多かった。その昔は、大晦日に表彰式 があり、そのままNHKのスタジオに駆け込むという図式が一般的だった。それ くらい、このレコード大賞という賞は権威があったし、誰が見ても納得する曲 と歌手が選ばれた。もしかしたら、来年はがらっと内容を変えてお目見えする かもしれない。期待しよう。 <NHK紅白歌合戦> ・大晦日恒例と言えば、NHKの紅白歌合戦。まず、出場者が発表になり、歌う 曲が事前に公表されて、大きな物議を起こした。なぜ、この歌手、この曲が選 ばれたか、選定過程と基準が明確でない。また、当然我々からすれば出場して いい歌手や選ばれるべき曲がない。視聴者の層が多岐にわたり、子供から高齢 者まで幅広い層に受けないといけないので、こうなるのだろうか。とにかく、 焦点が絞りにくく、番組の意義、存在が問われている。そもそも、番組自体の コンセプトである、白組=男性、紅組=女性という分け方自体に意味があるの か。また、評価を点数でつけて、どちらが勝った、負けたと勝敗をつけること に意味があるのか。多くの疑問があるなかで、この番組も続いているがゆえ に、止められない、変えられない。 ・視聴者が子供、学生、青少年、中年、高齢者でも若い層、そして80歳以上の 高齢者。これだけ幅広い層に、受け入れられる番組を編成するのは至難の業 だ。それなら、番組を3分割し、最初は年齢の低い層に受け入れられる今風の 内容。次には、最もコアな層に受けいれられるまさに歌謡曲。そして最後、年 配の層に受けいれられる演歌などを中心に懐メロで構成する。そして、点数も 評価しないし、勝ち負けもつけない。どちらが勝とうが、男性、女性の区別を すること自体がおかしい。また、グループの大勢で歌い、踊るグループが増え ている。ソロで独り歌える歌手が少なくなった。これらを番組に反映させるこ とは、現在の構成では難しいだろう。いっそ、がらっとコンセプトを変えて、 番組名も変えて、全く新しい番組として出直した方がいいのではないか。 ・昔は、歌謡界の評価として、この年末大晦日の「紅白歌合戦」に出場するこ とが、この業界で生きる歌手の夢だった。当然、出場したことで名前に箔が付 き、翌年からのギャラがアップする。どんなデビューした歌手でも、この番組 に出場することを目標にした。しかし、徐々に有名なソロ歌手で、この番組に 背を向ける人が出てくるようになった。「ボクは紅白には出ません」というの が、非常にかっこよく聞こえ、出ないことが権威に対する一種の反抗、アンチ テーゼとして逆に評価されるようになった。紅白に出なくても、十分ファンは 評価してくれている。それが証拠に、コンサートをやるとあっという間にチ ケットが売切れて、満員になる。そういう孤高の歌手が増えてきた。世間もそ れを、価値と認めるようになった。なにせ、NETではアクセス数や再生回数な ど、定量的な数字がオープンになるので、誤魔化しようがない。 <箱根駅伝> ・来年100回記念を迎える、箱根駅伝。今年も多くのドラマを見せてもらっ た。毎年、2日と3日の午前中は、この箱根駅伝を見るのが定番になってし まった。視聴率も高いだろうし、マスコミ、メディアの取り上げ方も半端では ない。しかし、この箱根駅伝は関東地区の大学しか参加できない。主催が関東 学生連盟になっていることからもわかる。20校の大学と、関東学生選抜のオー プン参加の21校で争われる。どうして、関西や西日本の大学が参加できないの かわからないが、違和感はずっとある。この箱根以外には、ご存じのように全 国的な学生駅伝には、名古屋の熱田神宮から伊勢神宮までを走る駅伝と、島根 県の出雲路を走る駅伝の2つのビッグレースがある。この2つの全国的なレー スは、各地の予選をクリアーした大学も参加できる。 ・しかし、マスコミで大々的に取り上げられる箱根駅伝は、関東の大学のみに 限られる。取り上げ方も半端ではないので、この箱根に出たいという一心で、 関東の有名な大学に全国からいい選手が集まる。年末の高校駅伝の上位学校で ある広島、京都、九州、長野などから大挙して多くの有望な選手が関東の大学 に流れている。要するに、年始の箱根駅伝に出たいのだ。走るのは往路5名、 復路5名の合計10名だが、大学は4年間あるので毎年出場できる強豪校なら延 べ40名の中に入れば、1回は走るチャンスがある。高校で活躍した選手が、大 学でも順調に伸びるとは限らないが、それでも可能性に賭けて関東の強豪校に 進学する。東京一極集中の象徴のようなイベントだが、この箱根を全国の大学 の参加に開放することはできないか。 ・来年の100回記念大会は特別に予選会の対象を全国に広めるという。非常に いいアイデアだ。詳細は存じ上げないが、少なくとも予選会上位10校で通過す れば、関西や地方の大学も出場できるチャンスがある。仮に、関西から3校が 予選会を突破して本選に出場し、上位10校に与えられるシード権の枠内に入っ たら、101回大会である翌年の大会は本選に出場できるのだろうか? 100回大 会という記念大会だからという、1回限りの特典なのだろうか? 細かいこと は分からないが、とにかく門戸が少しでも開いたのはいいことだ。チャンスが あれば、チャレンジしようという大学はあるはずだ。目標があれば練習もする だろう。目標のない努力は報われない。経営であれ、スポーツであれ、なんに よらず頑張れば手が届く目標という具体的なターゲットは大事だ。この特例が 継続できることを祈るばかりだ。 <ルールを変える勇気を> ・伝統を守りながら継続してきた努力は評価しても、未来永劫に同じでいいは ずがない。時代や環境の変化と共に、ルールを変えるなら思い切って変えても いい。高校野球も、投手の投球制限や延長タイブレークというルールもでき た。まだ、違和感はあるが徐々に慣れるだろう。サッカーのWカップで湧いた 日本だったが、PK戦も割と最近できたルールだ。その昔は抽選という原始的な 方法もあったようだ。ラグビーも、昔はトライが3点だったが、現在は5点。 バスケットも、3ポイントシュートなどはなかった。スポーツはエンタメ性を 重視するので、このようなルール変更は結構頻繁にある。バレーボールも、以 前はラリーポイント制ではなかった。サーブ権を持った側がポイントしないと 点にならなかった。延々と、サーブ権が行ったり来たりして、いつまで経った ら終わるのか分からない。中継するTV局の都合もあり、現在のルールに変わっ たのだろう。 ・昨今の経営環境の激変を見ていると、同じような方法で、同じように事業を 継続することが難しい状況になっている。現在の代表者が創業した昭和の終わ りの時代と、今は明らかに環境が異なる。成功した経験、体験は貴重だが、そ の成功体験に拘り過ぎていないか。世の中は以前とは明らかに異なっている。 ルールの変更も頻繁にあり、以前とはビジネスモデルが大きく変わりつつあ る。以前は例外だったことが、例外でなくなり、以前はNGだった取引形態が常 識になってきた。NETでモノを売ることなど考えてもみなかったが、それが昨 今は当たり前になってきた。テスラのEVは、なんとスマホだけで販売が完結す る。ショウルームもなければ営業社員もいない。究極の経費削減を突き詰めて いる。特に購入側に違和感はないようだ。 ・伝統は革新の連続。続くことは、変わること。けだし名言だ。京都の老舗の 和菓子屋虎屋の家訓だ。すごいことは、この理念を継承しているだけではな く、それを自社の事業の中で実践していることだ。言うのは簡単だが、実践す るのは非常に難しい。まして、実践、実行して、さらに結果を出すのは、並大 抵の努力ではできない。ルールを変え、時代の環境に適応できるビジネスモデ ルに変える。京都で長く事業を営んで、老舗と言われる企業では、そもそもの 祖業、つまり創業の時点のビジネスから、多くは現在相当違うことをやってい る。あるいは業界は同じだが、卸売業から製造業へ転換している。じっとして いては、座して死を待つのみ。それなら、ルールを変えて、新しいフィールド で勝負する。そうやって進化してきた企業が大半だ。逆に脱皮できなかった企 業は、古い殻に閉じこもり、結局座して死を迎えた。ルールを変えることをた めらわない。その勇気が必要だ。