**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第638回配信分2016年07月18日発行 成岡の40年の社会人生活の軌跡をたどる:その36 〜移籍した中小企業で経験したシリーズ:〜売れ出すとまた別の問題が〜 **************************************************** <はじめに> ●20名の新卒学卒チームと4名のマネジャー、そして責任者の成岡の25名の チームは、昭和61年の04月からプロジェクトとしての新規事業「メディカル事 業部」で全国展開の営業活動を開始した。4名のマネジャーにそれぞれ均等に 5名の新卒者を預け、原則都道府県単位で営業展開を行う。これは、対象にし ていた看護師さんの職能団体「日本看護協会」が各都道府県に支部を設置し、 その支部単位で活動をされていたからだ。当時の全国本部である日本看護協会 は東京の神宮前にあり、何度も足を運んだ。 ●しかし、当初は京都のマイナーな専門書の出版社がいきなり行っても、らち があかない。会長の方にお目にかかり、この専門書企画がどうしてできたの か、背景、理由、主旨を理解いただき、最終的には推薦図書にして欲しい。そ れが、部門の責任者の成岡のミッションであり、事業部長としての最初の大仕 事だった。だが、ことはそう簡単ではない。東京の著名な老舗の看護分野や医 療分野に多くの専門書や月刊誌を出している出版社なら、それは簡単なことだ ろう。日頃の付き合いもあるし、某出版社の代表者は毎年の看護協会の総会に 来賓として呼ばれている。 ●そんな競争相手が多くひしめく東京のど真ん中で、京都の小さな聞いたこと もない出版社が、社運を賭けて出版した専門書をいきない持っていっても、相 手にしてくれない。ここはそう簡単に諦めるわけにはいかない。どうすれば看 護協会の会長の推薦文をもらえるか。それこそ、ここで失敗すれば敗者復活は あり得ない。一発勝負だが、確実に結果を出さないといけない。誰にも代わっ てもらえない、非常に追い詰められた厳しい状況の中で、結構プレッシャーも あり、相当精神的には追い詰められた。しかし、窮すれば通ずで、困ると何か 知恵やヒントが出るものだ。 <個人とチームの成績にばらつきが> ●ここは、周辺の人脈や過去からの関係を最大限に利用するしかない。詳細は 営業秘密に属するので省略するが、霞が関の厚労省、総監修していただいた聖 路加大学など、ありとあらゆるコネクションを利用して本丸の看護協会にアプ ローチした。最終的には、協会としての機関決定の推薦はもらえなかったが、 会長個人は大変気にいっていただいて、個人としての推薦文をいただくことが できた。それを持参して、各県支部に同様に推薦の依頼を行う。各県単位はで きる限り機関決定した推薦図書にしていただき、それをベースに各県医療機関 に営業活動を行う。 ●とにかく、一度アプローチしてNOが出ると、二度と敗者復活はあり得ないか ら、これは事業部の責任者である成岡の最大の仕事になる。現場は4名のマネ ジャーに任せて、事業部長としては彼らが来月以降営業活動を行うであろう各 府県に出向いて、事前の準備を行う。おかげで、沖縄を除いてほとんど全国各 地を営業で訪問した。最終的に承諾を得られなかった県協会もあったが、おお むね70%くらいの確率で承諾を得ることができた。専門書はそういう意味で、 対象者のレベルアップにつながるという大義名分が立ちやすい。その辺にあ る、宝石や毛皮とは違う。 ●先週号でもお話ししたが、初年度の年末向いて、徐々に実績が各チームで出 始めるようになった。「売ろう」「売ろう」とするから「売れない」のであっ て、「売らない営業」をすればいいことに気が付いた。「売る」のではなく、 「価値を届ける」「価値を説明する」ことに重点を置いて、決して無理に薦め ない。最終の判断は、先方がすればいい。本人に委ねることだ。こう気が付い てから、少しずつ結果が出てくるようになった。チームごとに大きなばらつき があったが、すぐに呑み込めて実行できるチームもあった。 <マネジャーのマネジメント能力にも> ●少しずつ結果がでてくると、意外な現象が起こった。チームごとにばらつき が出るのは致し方ないが、個人ごとにも営業成績に大きなばらつきが出る。そ もそも、20名も採用したのだから、当然個人差はあり、営業に向いている新入 社員もあれば、あまり向いていない者もいる。入社の時点でそれは、ある程度 想像もつき、ばらつきは覚悟の上のことだ。まだ、当初全員がもたもたしてい るうちは、あまり個人差は目立たなかったが、逆に営業活動の結果が出だす と、歴然と個人差が出る。 ●月間で20セットもの素晴らしい結果を出す者もいれば、入社以来1セットも 販売実績のない社員もいる。当初は同期生ということで、全員仲が良く、同期 生同士のコミュニケーションもよかったが、いざ現場に出ると能力差は歴然と 出てくる。年末から03月末の年度末に向けて相当個人差が出るようになった。 逆に、マネジメントが非常に難しい段階を迎える。ひとつは、04月の昇給をど うするか、06月末の夏の賞与をどうするか。非常に悩ましい。当然、初年度は 全員が同じ給与水準だ。しかし、歴然と能力の差が出てきた。 ●また、チームごとの営業成績にも次第に大きな差がでることになった。これ は、たまたま配属した新入社員の出来不出来にも左右されるが、マネジャー自 体のマネジメント力の差にも起因する。4名のうち、1名は過去に数名の部下 を統率してリーダーをやったことがあったが、ほかの3名は即席のマネジャー なのだ。過去にチームマネジメントを経験したことがない。慣れれば多少はで きるようになるがやはり実戦経験の積み重ねでしか、なかなか体得できるもの ではない。やはり、ある程度は経験を積まないとできないものがある。 <当初の方針に迷いが出て混乱が始まる> ●本社経営陣の意向は簡単でシンプルだ。もっと数字を挙げる、伸ばすために は売れるメンバーを残して、集めて、少数精鋭でやればいい。売れない営業社 員は市場をつぶしているだけで、生産性は上がらない。むしろ、対象者を減ら し、営業経費を無駄に使い、給料分の仕事もしていない。そんな足を引っ張る 社員は営業部門には要らない。もう1年もやればわかるはずだ。営業に向いて いない者は、さっさと現場から外すことが妥当だ。これが本社経営陣の結論 だった。では、外すとはどういうことか。異動することか、やめてもらうこと か。 ●異動ができる人はいい。事務的能力に優れ、数字に強く営業には向いていな いが、内勤の事務系統の仕事に適している人材も、確かにいた。しかし、これ といって取り柄のない人もいた。数字を挙げて営業に向いている人間は、機転 が利き、その場の空気が読めて、要領もよく、人柄もいい。そんな人材は、ほ かの部署も欲しい。まして、出版社に新卒で入社した社員だ。いつかは、企 画、編集に行きたい人ばかりだ。かくて、数字が上がりだし、事業部としての 体裁が整ってきた昭和62年の04月は事業部は混乱した。また、逆に第2期生の 新卒社員を受け入れる必要もある。 ●後半戦の新卒営業チームの健闘を見て、ほかの営業事業部でも新卒営業チー ムを作ろうという雰囲気も出てきた。数字が上がれば上がったで、社内は混乱 してきた。経営陣と、人事担当部署と、営業現場を預かる成岡チーム、それに ほかの営業部門がいろいろと好きなことを言う。半年前までもうやめたらどう か、お荷物と言われていた部門が、少し可能性を見出したことで、社内のコン センサスが取れなくなった。成岡は依然として現場に張り付き、全国各地を奔 走している。社内では、混乱が次第に増幅してきた。方針がぶれ出した。