**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第634回配信分2016年06月20日発行 成岡の40年の社会人生活の軌跡をたどる:その32 〜移籍した中小企業で経験したシリーズ:新卒営業チームを編成〜 **************************************************** <はじめに> ●社運を賭けた6億円のビッグプロジェクトの、企画制作面の目途が立った昭 和60年の初夏。発売開始は、昭和61年05月と決まった。全部で18巻、5000ペー ジの大企画だから、一度に完成するわけではない。約2年間にわたり、平均す れば毎月1巻ずつできるイメージだ。発売開始時点では、1巻くらいしかでき ていないだろう。しかし、それまでに数億円の制作費を先行して使っているの で、早く発売して予約注文をとらないといけない。1巻できれば、残りは同じ 構成だから、説明はできる。初版5000セットを24か月で売らないといけない。 ●ということは、単純に計算すると毎月200セットくらいの販売ペースにな る。定価が、初版時点では200,000円くらいと想定されたので、毎月40,000千 円の売り上げを作らないといけない。当時のこの規模の専門書の大型企画の平 均の売上高は、おおよそ1人で2,000千円くらい。それくらいの販売実績をあ げないと、営業経費や人件費などを加算すると勘定が合わない。そして、以前 にも書いたが初版ではほとんど原価を回収するのがいっぱいで、ほとんど利益 は出ない。早く、初版分の数量を販売するのが必須条件になる。 ●毎月40,000千円の売り上げを計上しようと思うと、ある程度営業部門の人数 が要る。当時の子会社の販売会社や営業部門の人数は、そんなに多くないか ら、この約20名くらいの新規チームは全く新しく創設する必要があった。そこ で、社内の役員会で大激論になった。従来の中途採用で何とか人数をそろえ て、子会社の販売会社で営業する案。あるいは、全国の代理店に地区割りをし て、専売権を与えて代理店ネットワークで数字を作る案。あるいは、子会社や 代理店に任さずに、自社の新しい営業チームを作る案。どれも、リスクがあ り、決まらない。 <営業マネジャーとベクトルを一致さす> ●転職してから、この営業部門や販売子会社の中途採用に関わってきた者とし ては、入社した人の定着率の悪さには、ほとほと苦労をしてきた。給与体系の 問題もあるだろうが、やはり営業という対人関係で成り立つ職種の場合、マネ ジャーとの相性や組織や企業風土、文化の違いなどは、非常におおきな影響を 及ぼす。特に、前職の経験から来るその人の考え方は、そう簡単には新しい職 場の空気、風土、文化に合わないことも多い。3か月の試用期間が過ぎると、 かなりの人数がリタイアする。その繰り返しだった。 ●だから、この社運を賭けた大きなプロジェクトを中途採用のグループに任す ことはできないと、経営陣は決断した。かくて、翌年の春には20名前後の営業 チームが必要となる。しかも、今まで未経験の看護という職種、現場での営業 活動になる。失敗は許されない。かくて、役員会の結論は成岡のもとに、4名 の営業マネジャー、20名の新卒営業部門を新しく作る。そして、その営業部門 を事業部制にして、採算や損益を単独で把握するという「看護事業部」という 事業部ができることになった。そして、4名のマネジャーの人選が始まった。 ●まず、書籍の営業部からS君が選抜された。彼は、主に西日本の書店の営業 部のマネジャーをしていた。彼を抜いたことで、相当に書店向けの営業はポテ ンシャルが下がったと思われる。次に選抜されたのは、名古屋支店のO課長。 そして、販売子会社からMさんとAさんが抜擢された。そして、成岡以下4名の 新任マネジャーによるプロジェクトが本格的に稼働し始めた。まずは、そもそ もマネジャーとは何をする仕事か、ミッションは何か、どういう意識をもって ことに当たるのか、教育とは何をどうするのか。まずは、全員のベクトルを一 致さすことだ。 <25名に内定を出す> ●最初にやったのは、居住地、定位置の確保だ。それまでは社内をジプシーの ごとく、右往左往していた。しかし、6億円のプロジェクトだから、一日も早 くきちんとした営業成績を残さないといけない。一方では、実際の新卒採用に 向けた活動、行動が行われて然るべきなのだ。そこで、会社の建物の1階の奥 に当時あった会議室を当分利用させていただくこととなった。成岡のデスクは 2階にあったが、そこを引き払って1階の会議室の臨時の居場所に移動した。 もう、元の場所には戻らない。背水の陣の構えを見せないといけない。 ●一方で新卒採用の活動をしながら、片方でビッグプロジェクトの準備をしな いといけない。年齢的には35歳くらいで一番元気だったと思うが、さすがにこ のころの仕事量、プレッシャー、時間との戦いは相当こたえた。特に、両方と もいまだに社内で誰も経験したことがなく、過去の資料も何もない。あるのは むしろ外部の提携先からの情報だ。新卒採用は、京都のリクルート社からのア ドバイスに耳を傾けるしかない。マネジャーの教育と営業活動の準備段取り は、自ら探して組み立てるしかない。前例がないことは、逆にいいことでも あった。 ●08月くらいから準備を始めた新卒採用は、京都地区と東京地区で数回の会社 説明会を行い、その後数回の個人面接を設定した。グループインタビューや性 格診断テスト、複数役員による面接などを経て、最終的に30名くらいに絞り込 んだ。さいわい、出版社というと文系の学生には非常に耳障りがいい。営業職 の採用だが、将来は編集企画に行けるとの可能性もあり、応募者の総数は結構 想像以上に多かった。元気のいい、活気のある、少々やんちゃな感じの体育会 系の男性ばかり25名くらいに内定を出した。 <いよいよテスト販売が始まる> ●新卒採用は、いろいろとあったがそれなりに順調に進んだ。ところが、10月 01日に京都で内定式を行うときに異変が起きた。25名くらいの内定者の中で、 数名が京都での内定式への参加をしなかった。この日を敢えて選んだのは、他 社の内定式が一斉に行われるとの情報を得ていたからだ。リトマス試験紙か踏 み絵のつもりで行った京都での内定式だったが、ここで20名になってしまっ た。この20名は大事にしないといけないと思って、その後数回に分けていろい ろな行事やイベントを開催した。入社前に相当親密な人間関係ができた。 ●マネジャー教育、研修は、なかなか具体的な成果が出しにくい。むしろ、営 業する新商品の企画内容、市場の特性、読者の特徴、看護という職業意識、彼 女たちの日常の業務などを子細に事前に調べて、その市場の感覚を身に着けな いといけない。また、どのような状況で現場で営業するのか、ツールは何が必 要か、クロージングはどうするのか、申込書の様式はどうか、配送や支払いの 事務的な処理はどうするのか、などを詰めないといけない。また、テスト販売 は、01月から開始することも決まった。いよいよ戦闘開始だ。 ●新卒営業チームの20名が入社してくるまでに、成岡と4名のマネジャーがき ちんと営業実績を残して、彼らを連れて数字を挙げられるようにしないといけ ない。04月に入社してからの1か月間の教育研修プログラムを作らないといけ ない。05月の連休明けから営業展開を行う市場の準備をしないといけない。基 本的には、医療機関へ直接出向いて営業を行う直販方式だから、まず、医療機 関へ営業できる準備をしないといけない。04月の入社式に向けて、それこそ猫 の手も借りたい状態になった。しかし、新しいプロジェクトだから、毎日が新 鮮だった。